関東学生鉄道研究会連盟は、2013年に今の形で再建されるより前にも、1958年から半世紀近くにわたって活動していました。このページでは、その「旧連盟」の成り立ちと移り変わりを、現在わかっている範囲でまとめています。年度ごとの出来事は、沿革の年表から各年度のページをご覧ください。
旧連盟については現在も調査中で、資料によって日付や内容が食い違うものもあります。ここでは、何かしらの資料で確認できたことをもとに書いています。
発足まで
旧連盟の誕生には、慶應義塾大学鉄道研究会が大きく関わっています。慶大鉄研は1933年に創立された、大学の鉄道研究会としては最古参の団体のひとつで、1950年代にはすでに早大鉄研などと交流がありました。
実は、それ以前にも同じような組織が作られたことがあったものの、発足に関わった学生たちが卒業していくと、数年のうちに自然と消えてしまったとの伝えがあります。つまり、これはこうした大学鉄研どうしの連盟は、1958年が最初ではなかった可能性を示唆しています。
1958年の春ごろ、慶大鉄研の中で、各校の鉄道研究会の横のつながりを広げ、連盟のような形にしたいという声が高まりました。7月5日、慶大三田に早大・東大・法大の鉄研の代表が集まって設立に合意し、名称を「学生鉄道研究会連盟」と決めています。連絡や会計を受け持つ当番校は慶應鉄研が担うこととなりました。
8月には各方面へ150通を超える挨拶状が送られ、交通新聞・内外交通・毎日新聞・朝日新聞が連盟の発足を報じました。そして9月11日、東京・神田の交通博物館の講堂で発会式と記念講演会が開かれ、連盟が正式に発足します。発会式時点の加盟校は、慶應義塾大学・東京大学・法政大学・早稲田大学の各鉄研と、慶應義塾高等学校・早稲田大学高等学院の高校鉄研でした。発会式には、報道を見て加盟を申し出た日本大学工学部の鉄研を加えた7校から百余名が出席しています(1958年度の記録)。
発足直後には、ビジネス特急「こだま」の試乗会に連盟として100名が招待され、翌1959年には十河信二国鉄総裁が名誉顧問に就任しました。発足から1年足らずで加盟校は10校に増え、試乗会や見学会、写真展などを通じて、国鉄や私鉄とも関わりを持ちながら活動していきました(1959年度の記録)。
「学生鉄道研究会連盟」から「関東学生鉄道研究会連盟」へ
発足当時の名称に「関東」は付いておらず、連盟誌の表紙も1978年12月までは「学生鉄道研究会連盟(誌)」でした。「関東学生鉄道研究会連盟」の名称が確認できる最も古い資料は、1980年2月発行の連盟誌R-7の表紙で、1978年末から1980年初めまでの間に名称が変わったと考えられます(1979年度の記録)。
発足当時の記事には「できれば全国的な組織にまで発展させたい」「加盟校が京阪神地区にも多くなれば関西支部というものが置かれるようになるかも知れません」と書かれています。関西では1962年10月に結成準備会、1963年4月に発会式が開かれ、のちの関西学生鉄道研究会連盟が生まれました。1975年からの『鉄道ピクトリアル』の「学鉄連研究シリーズ」でも、関東と関西の大学が区別なく並んで執筆していることから、関西の連盟は当初、同じ連盟の関西支部のような位置づけだった可能性があります。ただし関東側の資料には関西の加盟校や支部の記述が現状見つかっておらず、はっきりしたことはわかりません(1962年度・1963年度の記録)。
運営と活動
運営は、加盟校が持ち回りで当番校(幹事校)を務める形で行われました。1970年代半ばには委員会が年に数回開かれ、行事の内容や連盟誌のテーマ、次の当番校などを話し合っていた記録が残っています。
主な活動は時期によって移り変わっています。
- 試乗会・見学会:1950〜60年代には「こだま」「ひので」や開業前の東海道新幹線の試乗会、機関区の見学会などが開かれました。
- 写真展・模型運転会:交通博物館での写真展は1960年代から1980年代にかけてたびたび開かれ、1970年代末からは模型運転会も行われました。
- 連盟誌・連盟紙:テーマを決めて加盟校が持ち回りで編集する連盟誌が発行され、1989年からは連盟紙に形を変えて1996年ごろまで続きました。
- 討論会・ディスカッション:1980年代には、加盟校の学生が鉄道の話題について議論する討論会や講演会も開かれています。
- 交流行事:ソフトボール大会、麻雀大会、ボーリング大会、クイズ大会、オリエン鉄リング(鉄道オリエンテーリング)、学祭ラリーなど、加盟校どうしの親睦を深める行事も多く開かれました。1990年代後半には、クイズ大会が毎年6月と12月の恒例になっていました(1996年度の記録)。
加盟校の移り変わり
加盟校は、発足時の6校から1959年には10校に増え、1979年度には26校に達しました。その後は減少に転じ、1987年12月時点で19校、1997年ごろには16校、2000年度の名簿では15団体となっています。各年度の加盟・脱退は、年度別のページの「その他起こったこと」に載せています。
活動の縮小と休止
1988年4月には、慶應義塾大学から学鉄連の廃止が提案されたこともありました。この案は否決され、学鉄連は存続することになりましたが、企画のあり方は引き続き検討が必要とされました(1988年度の記録)。
1990年代後半も、委員会やクイズ大会などの活動は続いていました。1999年度には幹事校の神奈川工科大学のもと早稲田大学で委員会が開かれ、2000年度の加盟団体名簿も残っています(1999年度の記録)。一方で、1997年ごろを境に「活動休止状態」と書いている資料もあり、活動の実態にはばらつきがあったようです。
2000年代に入っても、2001年9月には東京理科大学の野田キャンパスで学鉄連クイズ大会が開かれ、2002年ごろの加盟校のウェブサイトにも学鉄連の行事に参加しているとの記述が見られます。このほか、関西・中部の学鉄連と合同で行った車両基地の見学会(2002年3月の名鉄舞木定期検査場、2004年3月の大阪モノレール万博公園車両基地)が記録に残っています。現時点では、2004年3月の見学会が旧連盟の活動として確認できる最後のものです(2003年度の記録)。これも主催が関東学鉄連であったとは考えにくく、当時の力のなさを感じられます。それ以降、旧連盟の活動を示す資料は見つかっておらず、2000年代半ばには活動が途絶えていたと考えられます。
再建へ
旧連盟の活動が途絶えていた間も、関東の大学鉄研どうしの交流が途切れていたわけではありません。2009年からは関西学鉄連が中心となって全国の鉄研が集まる「てっけんサミット」が開かれるようになり、関東の鉄研も各団体として参加しました。2010年には千葉県内などの大学鉄研による「ちば学生鉄道研究会連合」も発足しています。2011年のてっけんサミットでは、関東から7団体が参加し、関東にも学鉄連のような交流の場を求める声が上がっていました(2011年度の記録)。
2012年ごろからは、早稲田大学・明治大学・慶應義塾大学の鉄研を中心に学鉄連再建の話が動き出し、2013年の「鉄道研究会交流準備会」による団体専用臨時列車の運行を経て、2013年12月1日に関東学生鉄道研究会連盟が再建されました(2012年度・2013年度の記録)。現在の連盟は、旧連盟の設立日である1958年9月11日を設立日とし、2013年12月1日を再建の日としています。
資料提供のお願い
旧連盟の活動実態については、いまだにわからないことが多く残っています。
2013年に再建される以前の当時の資料・記録をお持ちの方、旧連盟をご存知の方は[email protected]までご連絡いただけますと幸いです。